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邇波の旅 ・・・(30.04.20~)
 (特)古代邇波(にわ)の里・文化遺産ネットワーク 理事長 赤塚次郎
筆者:赤塚次郎さん 

 「前刀の里」Vol.1 (H30.04.20掲載)  「井出の泉」Vol.2 (H30.05.18掲載) 
 「酒蔵の泉」Vol.3 (H30.06.15掲載)    

「酒蔵の泉 」(H30.06.15掲載)
名鉄小牧線「羽黒駅」前に「小弓の庄(こゆみのしょう)」という建物がある。旧加茂郡銀行羽黒支店の復原施設で、明治40年頃の洋風的な建築が印象的である。この地域は昔「小弓」 oyumi と呼ばれ、尾張国邇波(にわ)郡小弓郷は五条川水系の上流域付近を意味するものであった。「おゆみ」とは優しい響きのようにも思えてくる。さて羽黒駅から小弓の庄の手前の小さな路地をくねくねと西に進むとかつての名犬国道、27号線に出る。駅周辺から西側一帯は旧羽黒村の集落街区をよく残している。街中を徘徊すると、そこかしこに路地が走り、羽黒の繁栄を支えてきた市神社、その北側には芝居小屋「羽黒座」がかつて存在し、路地の傍から今にも笑い声が聞こえてきそうだ。この「入鹿道」と呼ばれる界隈は、五条川の右岸を走る古くからの東西道路でもあった。

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「井出の泉 」(H30.05.18掲載)
扶桑町から小さな青木川を下っていくと、前野天満社から宮後への道が青木川と交差する場所、江南市「しみず公園」にたどり着く。井出の清水、かつてはコンコンと絶え間ない美しい泉が湧く、青木川の源流の一つでもあった。時を一気に遡ればおそらく周囲は鬱蒼とした森で囲まれ、河川脇に清らかな泉が湧く場面。近くのモノたちは、その泉のもとに寄り集まり、楽しみ、その泉の水を汲んで飲む。それはそれは豊かでゆったりとした時が流れる場面であったに違いない。まさに「風土記」が描く世界がここにある。宮後町清水は青木川と宮後城がある北からの旧河道が合流する地点であり、起伏に富みまさに水が集まり、扇状地の伏流水が噴き出る「泉の里」と考えることができる。その象徴的な存在が、かつては湧水点に鎮座し、水の神を祀る式内社「井出神社」。何気なくあたりを歩くと、古代・中世の器のカケラがチラホラ。何れにしてもこの界隈は旧河道と湧水点が混在し、河道による窪地とその微高地が入り組む空域。宮後・前野地区は「泉」をキーワードとして一つの特異な場面を形成していたと思われる。そこに何者かが集まってくる。

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「前刀の里」(H30.04.20掲載)
名鉄扶桑駅を降りると東口の正面に小さな児童公園がある。何気なく周りを見渡すと、この周辺の地形が周囲に比べ幾分か低くなっていることがわかる。そう、ここはかつて木曽川が伊木山界隈から分流していた頃の流路の跡である。その痕跡が扶桑町から江南市にはしっかりと残され、犬山扇状地の本来の地形、深く大地に刻まれた谷状の地形が観察できるのである。特に扶桑駅から柏森周辺はわずかな起伏が複雑に入り込み面白い。さて児童公園の裏側には小さな水路がある。青木川である。わずかに残った小さな水路を手掛かりに、窪地を南に歩きはじめることにしよう。ちなみに上流は犬山市の弥生集落、上野遺跡に通じる。駅の南側に大きな調整地が見えてくる。かつての谷地形を利用して作られているのだ。実はこの谷を見下ろす場面に、今から約1400年ほど前に古墳が作られた。船塚古墳と呼ばれている。扶桑東小学校の西側にひっそりと残された。ここに眠る主人はおそらく木曽川の支流を眺め、この谷地形を利用して、里を治め地域開発に尽力した英雄だったに違いない。川岸を望む塚、船塚という名称もちょっと気になってくる。

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