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邇波の旅 ・・・(30.04.20~)
 (特)古代邇波(にわ)の里・文化遺産ネットワーク 理事長 赤塚次郎
筆者:赤塚次郎さん 

「前刀の里」Vol.1 (H30.04.20掲載) 「井出の泉」Vol.2 (H30.05.18掲載) 
「酒蔵の泉」Vol.3 (H30.06.15掲載)   「かんなぎ」の鏡Vol.4 (H30.07.20掲載)  
「こおりと古墳デルタ」Vol.5 (H30.08.10掲載)  「上街道・楽田城面影路」Vol.6 (H30.09.21掲載)   
イカ石の里Vol7 (H30.10.19掲載)   

「 イカ石の里」(H30.10.19掲載)
犬山の東部丘陵には里山景観がひろがり、丘陵と小さな谷が複雑に入り込む、実に美しい場所がいたるところに残っている。その一つを訪ねてみよう。名鉄広見線善師野駅を下車。駅の北西には上街道(木曽街道)善師野宿がひっそりと残り、常夜灯が迎えてくれる。街道は集落に沿って伏屋の谷を山にむかって伸びている。馬頭観音や小さな祠が現れ、かつての街道の面影を残す。禅徳寺から宿場跡を抜けた所に一里塚跡がある。そこから上り坂を上がると、ぜひ訪ねてほしい巨大な磐座が目の前に現れる。「箕岩(みいわ)」とよばれ、「行人杖をとどめて奇観とせり」と『尾張名所図会』に描かれている。不思議な空間だ。

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「上街道・楽田城面影路」(H30.09.21掲載)
名鉄小牧線「田県神社前」駅、かつての久保一色駅前を西に進むと旧名犬国道にでる。久保一色の信号を渡ると、左手に小さな3つの祠が出迎えてくれる。ここにわずかに旧街道(上街道(うわかいどう)・木曽街道と呼ばれる)の面影が残る不思議な空間がある。そこで祠がある小さな水路に沿って北に向かって歩きはじめよう。新しい宅地がひしめくが、旧街道っぽい道が続き、すぐに道が大きく屈曲する。大曲と呼ばれる場面であり街道の雰囲気がわずかに残る。因みにここを左折すると住宅街を抜け、尾張広域緑道「水道みち」にでる。そしてさらに水道みち沿いに北上すると西楽田団地の横を通過し国史跡青塚古墳に向かうことができる。青塚古墳までのおすすめ散歩コースである。ぜひお試しあれ。

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「こおりと古墳デルタ」(H30.08.10掲載)

富士塚古墳
犬山線布袋駅は、街の雰囲気が激変した。あの美しい駅舎は消え、かつての布袋野街、昭和が息づく街並みが僅かに残された。さて、激変する駅西を避け布袋駅から東へ500mほど五条川に向かって進むと柳街道に出る。そこにこの地のはじまりの場所がある。こんもりとした高さのある塚が見えてくる。尾張名所図絵に登場する場面であり、塚の上には生駒氏の歴史を刻んだ「石碑」が立つ。この碑そのものも大変貴重な文化財であるが、実はこのお山、古墳である。富士塚古墳と呼んでいる。周囲からは埴輪も見つかっており、5世紀末ごろに造られたものと考える事ができる。現存する古墳としては、江南市域で最も古い古墳といってもよい。

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「かんなぎ」の鏡(H30.07.20掲載)

余野清水遺跡で見つかった「巫鏡」
名鉄柏森駅、駅周辺は近年急速に変化し、特急が止まる駅として発展した。ところでここから東へ約1キロ半ほど行くと、「小口城(おぐちじょう)」跡にたどり着く。本来の場所ではないが、そこに小口神社が鎮座し、古くからの地の神々を奉る場面として受け継がれてきた。尾張國邇波(にわ)郡小口郷(おぐちごう)。古代には領域を口kuchiと後shiri、上kamiと下simoにわけることが多々見られる。「口」は何を意味するのか妄想したくなる。ひょっとして近くに邇波郡衙(にわぐんが)なるものが潜んでいるかもね。実は柏森界隈には「邇波」里で最も大きな集落遺跡が存在するのだ。われわれはその偉大なる遺跡を「余野(よの)遺跡群」と呼んでいる。

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「酒蔵の泉 」(H30.06.15掲載)
名鉄小牧線「羽黒駅」前に「小弓の庄(こゆみのしょう)」という建物がある。旧加茂郡銀行羽黒支店の復原施設で、明治40年頃の洋風的な建築が印象的である。この地域は昔「小弓」 oyumi と呼ばれ、尾張国邇波(にわ)郡小弓郷は五条川水系の上流域付近を意味するものであった。「おゆみ」とは優しい響きのようにも思えてくる。さて羽黒駅から小弓の庄の手前の小さな路地をくねくねと西に進むとかつての名犬国道、27号線に出る。駅周辺から西側一帯は旧羽黒村の集落街区をよく残している。街中を徘徊すると、そこかしこに路地が走り、羽黒の繁栄を支えてきた市神社、その北側には芝居小屋「羽黒座」がかつて存在し、路地の傍から今にも笑い声が聞こえてきそうだ。この「入鹿道」と呼ばれる界隈は、五条川の右岸を走る古くからの東西道路でもあった。

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「井出の泉 」(H30.05.18掲載)
扶桑町から小さな青木川を下っていくと、前野天満社から宮後への道が青木川と交差する場所、江南市「しみず公園」にたどり着く。井出の清水、かつてはコンコンと絶え間ない美しい泉が湧く、青木川の源流の一つでもあった。時を一気に遡ればおそらく周囲は鬱蒼とした森で囲まれ、河川脇に清らかな泉が湧く場面。近くのモノたちは、その泉のもとに寄り集まり、楽しみ、その泉の水を汲んで飲む。それはそれは豊かでゆったりとした時が流れる場面であったに違いない。まさに「風土記」が描く世界がここにある。宮後町清水は青木川と宮後城がある北からの旧河道が合流する地点であり、起伏に富みまさに水が集まり、扇状地の伏流水が噴き出る「泉の里」と考えることができる。その象徴的な存在が、かつては湧水点に鎮座し、水の神を祀る式内社「井出神社」。何気なくあたりを歩くと、古代・中世の器のカケラがチラホラ。何れにしてもこの界隈は旧河道と湧水点が混在し、河道による窪地とその微高地が入り組む空域。宮後・前野地区は「泉」をキーワードとして一つの特異な場面を形成していたと思われる。そこに何者かが集まってくる。

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「前刀の里」(H30.04.20掲載)
名鉄扶桑駅を降りると東口の正面に小さな児童公園がある。何気なく周りを見渡すと、この周辺の地形が周囲に比べ幾分か低くなっていることがわかる。そう、ここはかつて木曽川が伊木山界隈から分流していた頃の流路の跡である。その痕跡が扶桑町から江南市にはしっかりと残され、犬山扇状地の本来の地形、深く大地に刻まれた谷状の地形が観察できるのである。特に扶桑駅から柏森周辺はわずかな起伏が複雑に入り込み面白い。さて児童公園の裏側には小さな水路がある。青木川である。わずかに残った小さな水路を手掛かりに、窪地を南に歩きはじめることにしよう。ちなみに上流は犬山市の弥生集落、上野遺跡に通じる。駅の南側に大きな調整地が見えてくる。かつての谷地形を利用して作られているのだ。実はこの谷を見下ろす場面に、今から約1400年ほど前に古墳が作られた。船塚古墳と呼ばれている。扶桑東小学校の西側にひっそりと残された。ここに眠る主人はおそらく木曽川の支流を眺め、この谷地形を利用して、里を治め地域開発に尽力した英雄だったに違いない。川岸を望む塚、船塚という名称もちょっと気になってくる。

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