平成16年1月10日掲載



今回は江南市の曼陀羅寺、文永寺、犬山市の圓明寺、永泉寺、扶桑町の龍泉寺、大口町の教善寺の6寺院に御協力頂きました。順不同。 


〔取材協力〕(株)松屋佛壇店

金毛山 龍泉寺(りょうせんじ) 臨済宗妙心寺派 本尊 釈迦牟尼佛
扶桑町山那838 TEL<0587>93-0812  http://www.ryousenji.com/
当山は後柏原天皇の永正2(1505)年8月美濃国前渡北島の領主片山越後守藤原成久氏により開基、開山蘭室宗幡和尚により創建された。当時、境内2町1反、本堂12間四面、庫裏奥行7間間口13間、山内に末寺5カ寺を有していた。寛永6(1629)年5月、木曽川の大洪水により一朝にして廃頽衰運に遭遇した。以後、山那の郷士伊藤金五郎氏らが自己の田地を寄進して、現在地に檀徒一致協力して堂宇を再建した。
明治22年正月火災により大伽藍焼失したが、遂次再建、現在規模の伽藍を整備され、平成12年には大庫裏が再興された。現世代23世である。現在、美濃に禅黙寺、桃林寺、尾張に薬師寺、正覚寺の4カ寺が末寺として存在している。

城郭山 圓明寺(えんみょうじ) 浄土真宗大谷派 本尊 阿弥陀如来
犬山市東古券595 TEL<0568>61-0676

文明16(1484)年浄光坊として草創。開基は蓮如上人の法弟浄念。三河、佐々木上宮寺に滞留の後、大永2(1522)年、犬山中切に一宇建立した。慶長11(1606)年現地に移転、元和8(1622)年、圓明寺に改号した。建物は江戸初期建立の本堂、城主下賜むくり(凸形の曲線形)屋根の庫裡、明治文化の豪壮鐘楼、絢爛な銅板葺き唐破風山門ほか6棟。境内には樹齢300年の枝垂れ桜がある。

●景徳山 永泉寺(えいせんじ) 臨済宗妙心寺派 本尊 釈迦牟尼如来
犬山市裏之門238 TEL<0568>67-1002
寛正2(1461)年兵火によりすべて焼失したため、それ以前は不詳。火災後約70年経た天文元(1532)年、現在の地に野呂長者惟久公が開基となられ、岐阜の古刹大宝寺より、泰秀宗韓禅師を招聘し創建された。禅師は大本山妙心寺派東海派の祖、悟渓宗頓禅師の法を継がれた興宗宗松禅師の高弟であり、四哲と称された優れた弟子を世に輩出された。そのお一人に、織田信長公と深い関係にあった当山二世澤彦宗恩禅師がある。その因縁もあって信長公はたびたび当山に足を運び、その教えと感化を受けられた。

法隣山 文永寺(ぶんえいじ) 臨済宗妙心寺派 本尊 釋迦如来
江南市小杁町寺ノ内121 TEL<0587>57-8934
当山は文永元(1264)年に開創され、往古は天台宗と伝えられるが、世系は不詳である。天文9(1540)年笹野妙光寺二世松峯和尚にて中興され、開山となり以来臨済宗となる。往古当地は禁裏の供御料所にて、当寺に収税官吏の別館があり、その跡地(真名代塚)は尾張名所図会によれば、本堂西にあり、現在は墓地となっている。本堂南には築山四国八十八カ所、南西に薬師弘法堂、西に稲荷堂などがあり、初午などの年中行事がある。

●日輪山 曼陀羅寺(まんだらじ) 西山浄土宗 本尊 阿弥陀三尊
江南市前飛保町寺町202 TEL<0587>55-1695
西山浄土宗三檀林の一寺であり、田舎の本寺なりとある。後醍醐天皇の元徳元(1329)年、天真乗運上人により勅願道場として創建された。後奈良天皇も勅願の綸旨を賜われた。国の安泰、人々の生活の幸せ、農産物の豊作など祈願した寺で、最初は円福寺と称した。寛正3(1462)年6月、第3世空光上人朝の勤行のとき、一人の老尼来りて、一軸を授け、有縁の者、ひとたび拝すれば三悪道を免れ、幸せを授かるであろうと言って、鎮守八幡社(境内にあり)に消えたとのこと。この一軸こそ奈良當麻寺の古幅と違うことのない浄土曼陀羅であった。これ以後、日輪山曼陀羅寺と改称す。
現在の正堂は阿波国城主蜂須賀小六家政公が、ご恩報謝のため、寛永9(1632)年に再建寄進された建物。南北朝時代の紫宸殿造りで建礼門に擬して唐門を建て、総桧皮葺13間四面で国指定重要文化財である。本尊は阿弥陀如来、観世音菩薩、勢至菩薩の阿弥陀三尊。国、県、市指定の重要文化財が多く所蔵されている尾北第一の名刹である。山内には8カ寺の塔頭寺院が本坊を中心に甍を並べている。

●宮西山 教善寺(きょうぜんじ) 浄土真宗本願寺 本尊 阿弥陀如来
大口町外坪3丁目1番地 TEL<0587>95-3102
寛文7(1667)年ごろからの過去帳は保存されているが、詳しいことは分かっていない。明治15年8月、当時の外坪村に名古屋市浄土真宗本願寺派教順寺住職木造等觀師が説教所を建立されたのが発端である。明治43年に現在の外坪3丁目1番地、汗明学校敷地内に再建移転。昭和17年3月、外坪説教所を外坪教順教会と改称。また昭和21年の宗教団体法の改廃と同時に当教会は解散。同25年の宗教法人法の施行と相まって単立寺院として、宮西山教善寺を設立した。同57年、檀信徒一同の悲願によって浄土真宗本願寺派本山と被包括関係を樹立し改宗。平成11年に本堂、庫裡、山門などを再建した。

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