シリーズ  知多四国八十八ヵ所霊場 戻る
〜25.07.27掲載〜
●満願成就まで194q 〈シリーズ第7回〉 野間かいわい9カ寺

知多四国の札所巡りは知多半島の東側に沿って南に向かい、半島左端の師崎から日間賀島・篠島へ渡り、ふたたび半島の西側を北にのぼって大府市で満願成就となります。遍路の全行程は、およそ194q。札所は一番から八十八番までの八十八寺と、開山所三カ寺、番外七カ寺を合わせて九十八カ寺あり、宗派の違いを超えて弘法大師(空海)への信仰という縁で結び合っています。シリーズ7回目は、美浜町の野間を中心に九カ寺を紹介します。第四十八番良参寺から第五十七番報恩寺まで。大御堂寺に属する第五十四番札所だった「龍松院」は、明治維新の廃仏毀釈により、なくなったため、第五十四番札所は半田市の海潮院に移されました。 

野間には、平清盛に敗れ京都から鎌倉へ落ちのびようとして殺害された源義朝にまつわる史跡が点在しています。第五十番大御堂寺には義朝の墓所や義朝の首を洗ったとされる「血の池」があります。義朝は鎌倉幕府を開いた源頼朝と弟義経の父。近くには伊勢湾航路の守り神、高さ18bの野間灯台があります。
第四十八番 禅林山 良参寺(りょうさんじ)
知多郡美浜町小野浦清水18 【宗派】曹洞宗 【本尊】聖観世音菩薩
良参寺の大師は「お助け大師」といわれている。盲目の女性が山門をくぐると目が見えるようになったり、名医から見離された難病が治ったという霊験が伝えられている。江戸時代の漂流民で、初の和訳聖書の完成に協力した「音吉」の菩提寺。南国情緒のソテツが本堂両側に植えられているほか、境内にはイブキの巨木がそびえている。
第四十九番 護國山 吉祥寺(きちじょうじ)
知多郡美浜町野間桑名前24 【宗派】曹洞宗 【本尊】釈迦牟尼仏
毘沙門堂には、行基が1本の木から3体刻んだという毘沙門天のうちの1体が安置されている。この堂の前には毘沙門天の命により立てられた成就塔があり、願い事がある人はこの塔をさすって拝むと願いがかなうといわれている。本堂には悪い夢をよい夢に取り替えてくれるという「夢違い観音」も祭られている。
第五十番 鶴林山 大御堂寺(おおみどうじ)
知多郡美浜町野間東畠55  【宗派】真言宗豊山派 【本尊】阿弥陀如来
大御堂寺は天武天皇(673〜686)の時代に開創された。聖武天皇(723〜749)のころ、行基によって再興された古刹。承暦年間(1077〜81)、白河天皇の勅願寺として大御堂寺と命名され、一山七堂伽藍、十四坊を構える大寺だった。本堂右側には源義朝の廟所があり、大門右には義朝の首を洗ったといわれる「血の池」もある。
第五十一番 鶴林山 野間大坊(のまだいぼう)
知多郡美浜町野間東畠50 【宗派】真言宗豊山派 【本尊】開運延命地蔵菩薩
野間大坊は大御堂寺の向かって左手にある。大御堂寺の一坊として創建され、建久元(1190)年、父義朝の菩提を弔うためこの地を訪れた源頼朝が、開運延命地蔵菩薩を奉安して本尊とした。堂々たる本殿は秀吉晩年の居城、伏見桃山城の一部を移築したもので、愛知県の重要文化財に指定されている。
第五十二番 鶴林山 密蔵院(みつぞういん)
知多郡美浜町野間松下105  【宗派】真言宗豊山派 【本尊】不動明王
承暦年間(1077〜81)、大御堂寺十四坊中の一院「宝乗坊」として創建された。宝暦年間(1751ごろ)に密蔵院と改称された。
本尊の不動明王は盗難除けに御利益があることで有名。観音堂には「かじとり観音」が祭られている。この如意輪観音は交通安全、家庭平和のかじ等に御利益があると伝えられている。
第五十三番 鶴林山 安養院(あんよういん)
知多郡美浜町野間東畠90―1  【宗派】真言宗豊山派 【本尊】阿弥陀如来 
大御堂寺十四坊の一院「南の坊」として創建された。宝暦年間(1751〜64)に安養院と改称された。天正11(1583)年には秀吉に敗れ岐阜城を追われた信長の三男信孝がこの寺で自害した。別堂に祭られている高さ2b超の「せき地蔵」は、せきやぜんそくに御利益があることで知られている。境内中央に樹齢600年を超えるソテツがある。
第五十五番 曇華山 法山寺(ほうさんじ)
知多郡美浜町野間田上50 【宗派】臨済宗天龍寺派 【本尊】御湯殿薬師如来
法山寺の山号は、3000年に1度だけ咲くという瑞兆の花「優雲華」が、この地の山上に咲き競うのを見て、行基が開基した。弘仁年間(810〜824)には弘法大師が滞在し、東に湧く霊泉に浴する病者のため、密厳秘修を行ったと伝えられている。霊泉は現在は涸渇している。
第五十六番 祥雲山 瑞境寺(ずいきょうじ)
知多郡美浜町野間松下85 【宗派】曹洞宗 【本尊】白衣観世音菩薩
本尊の白衣観世音菩薩は、日本三体のひとつ。聖観音の化身のひとつで無病息災、病気平癒の本尊として篤く信仰されている。母のお腹の中で子が育っていくように、世の中のすべてのものを包み込んでどんな願いもかなえてくれると言われている。境内に建つ「忠霊観音」は、かつてこの地を襲った災害の被災者を弔った像。
第五十七番 乳竇山 報恩寺(ほうおんじ)
知多郡美浜町奥田会下前39 【宗派】曹洞宗 【本尊】西方如来
報恩寺は野間で源義朝とともに討たれた鎌田兵衛正清の菩提を弔うために乳母が建立した。古くは天台宗だったが、永正年間(1504〜21)に雲関珠崇禅師が再興し、曹洞宗に改めた。昔、この地では雨水を飲料としていた。弘法大師が立ち寄った際、金剛杖で裏山より湧水を出させたという霊水がある。また、大師が一夜で彫った石造り観音が祭られている。