では、なぜ愛知にものづくりが発展したのでしょうか?そのルーツを犬山市文化史料館・同別館からくり展示館(写真右)で発見しました。18世紀前半、「暴れん坊将軍」として有名な8代将軍吉宗の時代に享保の改革が行われました。吉宗は質素・倹約を勧め、ぜいたくを禁止したのです。その幕府の方針に正反対の政策を執ったのが尾張徳川家。住民の娯楽や経済の活性化を考えた7代藩主・宗春のもとには、全国のからくり師が集まってきました。今でも愛知県にはからくり山車が数多く残っています。なかでも「茶運び人形」(写真左下)に代表される座敷からくりは、大名や豪商のぜいたくな遊び道具のひとつで、からくり師たちはその技を競い合いました。この時に培われた歯車やカムを駆使した技が、機織り機や時計などの機械技術に生かされたと考えられます。それが、後の航空機や自動車、工作機械へと受け継がれていきました。 |
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