平成18年1月14日掲載


今回は江南市の深妙寺、永正寺、犬山市の願入寺、藥師寺、扶桑町の安穏寺、大口町の妙徳寺です。順不同。 


〔取材協力〕(株)松屋佛壇店

藤井山 願入寺(ふじいさん がんにゅうじ) 真宗大谷派 本尊 阿弥陀如来 
犬山市犬山西古券376 TEL〈0568〉61-2145 
開基・受賢、生国は三河国碧郡藤井村の郷司で、俗姓は藤井左衛門尉藤原重季という。宣如上人(本願寺第13代)が関東下向の時、鳴海之駅にて得度。法名受賢と賜り、僧門に入る。その後、上人の巡下に随行して犬山に至る。当時、犬山坂下地区には寺院はなく、かねてからの寺院建立の望みにより、宣如上人より本尊を下附(裏書、寛永十九壬午三月下院、尾州丹羽郡犬山荘中切惣道場、願入寺、願主受賢大谷本願寺、宣如在判)せられ、一宇を建立した。以来、世々に相続して14世、現在に至る。

青海山 藥師寺(せいかいざん やくしじ) 真言宗 本尊 藥師如来
犬山市犬山薬師26 TEL〈0568〉61-2362 

当山は45代聖武天皇の勅願寺であり、天平6(734)年10月行基菩薩、天皇の勅命を奉じ七堂伽藍を創建、本尊藥師如来を祀った霊験により、青海山藥師寺宝光院と称す。本尊藥師如来は天平2(730)年5月、鳴海潟沖で漁夫の網に拾いあげられ、行基菩薩によって創建され、当山に祀られた仏さまである。その後、寺史もさまざま変遷を見たが、幸いにも1200有余年後の今日まで本尊藥師如来は全きを得、昭和6年12月14日、国宝に指定されその後、法改正により昭和25年8月29日、国の重要文化財に指定替えされた。
現在は1階葬儀ホール「愛昇殿」、2階本堂「瑠璃光殿」を建立、近代的寺院として地域の人びとに親しまれている。境内樹齢400年の大楠の根元には、芭蕉翁のふぐ塚と称される句碑がある。「ふぐ汁も 喰えば喰せよ 菊の酒」

●正眼山 安穏寺(しょうげんざん あんのんじ ) 曹洞宗 本尊 釈迦如来
扶桑町高雄中郷335 TEL〈0587〉93-0239
応安3(1370)年に僧悦宗が建立した寺で、元は知多郡篠島村にあり正蔵庵と称されていた。寛延2(1749)年に当地へ移築し、正眼山安穏寺に改称し、宝暦5(1755)年、埼玉県川越市の孝顕寺の住職、同中異眼大和尚が当寺開基・川越城主大和守松平明矩公(後に第37代姫路城主)の帰依を受け、安穏寺の開山となる。当寺は広い境内地を有し、かつて修行道場で歴代の住職が盛んに禅風を発揚したと伝えられ、僧堂の面影をしのばせる境内図や庫裏の部屋の名称等にみることができる。平成16年までの数年にわたり、本堂・庫裏の修復工事、境内地の整備事業を行った。
寺宝として開山の直筆の寺号額、開山同中異眼大和尚像の掛け軸、開基の直筆の出山釈迦像と衆生・利益の3幅一対の掛け軸などがある。最近、あじさい寺としてよく知られている。

吉祥山 妙徳寺(きちじょうざん みょうとくじ) 臨済宗妙心寺派 本尊 薬師如来
大口町小口宮ノ前14 TEL〈0587〉95-7414
当寺は長禄3(1459)年、織田遠州の大守広近公が当郷稲木庄大久地村初の城「箭筈城」を築いた。次いで文明元(1469)年、犬山に木下城を築き在住すること7年、ふたたび大久地城に帰り隠居することを決意し、文明7年この地に隠邸「萬好軒」を建てた。「吾 死す後は冥福の為にこの隠邸を禅刹と成すべし」と、この様に明言したのである。その後、延徳3(1491)年9月24日寂。伊勢守はその命に従い翌、明応元(1492)年、「萬好軒」を「吉祥山 妙徳寺」と改めた。そして再建を重ねながら513年間継承されてきた。平成16(2004)年、諸堂再建を完了。
平成18年4月27、28、29日には開山500年忌、開基500年忌、落慶法要と3日間の授戒会、そして29日には稚児練行も行われる。

●無量山 深妙寺(むりょうざん じんみょうじ) 真宗大谷派 本尊 阿弥陀如来
江南市宮田町本郷262 TEL〈0587〉58-7719
当寺は江南市前飛保町、上宮寺の末寺であり、開基は上宮寺第5世浄恵の長男浄念である。浄念病身隠居の上、本寺を天文元(1532)年、前飛保字北郷に創立する。明治3年、廃仏毀釈で御廃寺となった岐阜県東白川村、安泰山常楽寺より梵鐘と鐘楼を金138両で買ったと記録にある。同24年の濃尾地震により倒壊、同29年11月24日、当所に移転する。昭和の世の中が戦争へと向かう中、件の梵鐘も供出の憂き目に遭い、現在は新たな鐘楼が、信心獲得をいざないその音を響かせている。
当山では、新年の修正会、春・秋の彼岸会、夏の盆会、初冬の報恩講、歳晩の鐘と諸行事を執り行うが本堂も100年の風雪による老朽化のため、平成18年に全棟建て替えという大改修を控えている。

●高屋山 永正寺(こうおくさん えいしょうじ) 臨済宗妙心寺派 本尊 釈迦牟尼仏
江南市高屋町中屋舗46番地 TEL〈0587〉56-2584
永正元(1504)年、開基杉山主人が悟溪禅師の弟子独秀乾才を開山に迎え高屋庵と称し、臨済宗妙心寺派に属した。享保12(1727)年、高屋山永正寺と改称し文政年間に笹野妙光寺の法地となる。昭和60年、般若心経一万巻を納める「永正寺悟りの大塔」建立。2005年、開創500年記念で山門・茶所等を建設し、花と緑の癒やしの空間として檀信徒に開放している。遺族の気持ちにより添い援助できる寺を目指し葬儀を遺族主体に改革し、次世代にも理解され、家族の幸せにつながる先祖供養の方法を模索している。
人生の不安・迷いに応える仏教本来の教えを説き、時代のニーズに合った寺の役割を果たせることを目標に進化しつつある。

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